お墓参りに行こうと思うようになった

あまりにも人生に、というか仕事でうまくいかなくて悩みはて、もう精神的に枯れ果てそう。すっかり気弱なキャラがなじんで、ストレスのハケグチに当たられたりしますしサンドバッグ状態です。マゾッ気があるわけでもないのに、そういうものとして扱われ、ああ、こうやって人は人をいぢめるんだなと思った次第です。士農工商とかカースト制度とかいろんな身分制度がかつての人類の世界にはあったわけですが、やはり本質的に人は誰かを貶め、そうすることでしか自分の価値を確かめられない生き物なのかもしれません。土台がないとその上に何かは立たないわけですが、人にとってその土台とは自分より弱い立場の人の存在なのかもしれません。

そうやって考えると、平等であるはずの人類も、やはりランク分けされざるを得ず、組織において誰かがその的になる。
何とも不公平ではないか。

でもこの宇宙の規模で考えると、もともとは無であったものからできたものである以上、あらゆるものはゼロに帰することがその本質であるのかもしれません。

となると、因果応報、といいますか、今の苦しみもまた過去の自分のしでかした仕打ちであり、今の幸せもまた過去に施した善行の賜物、つまりは一見いわれのないと思われる、過去に記憶のない仕打ちを今自分が受けているこの不公平感も、もっと大きな視点でみると結局は今の肉体の前の世界で何かをやらかしてしまったのかもしれません。

浄化。
だから、こうやって苦しい時間もひたすら耐えるしかあるまい。

でも苦しいときには誰かに、何かに頼りたくなるもの。

すっかりスピリチュアルな感じになってしまいましたが私はそういうものを信じてはいません。

ただ、この魂の源泉たる先祖への縁は切ってはならない、この遺伝子に刻まれれている過去からの因果は受け止め、またそうすることで得られる安らぎ、ー自分は責務を継承し全うしているー という最低限の思いだけは持っておかないと、到底やりきれないような気がしてきました。
やるべきことをやった上でそれでもうまくいかない、それならばむしろ諦めがつく、そういうレベルにまで魂を高めていかねばならないと思いました。

そうだ、お墓参りにいこう。
今一度、この遺伝子をこの世に宿した先祖に力を貰わねばなりません。

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