みんな怒っている、怒っている人たちばかり

みんな怒っている。
この社会は怒りの連鎖でがんじがらめで、その鎖が人々の肉片に食い込んで、誰かが動くたびに更に身体を縛り上げ、悲鳴とともに怒号が飛ぶ仕組みになっている。

かつての古き善き時代ががどうだったのか分かりませんが、現代は怒れる人ばかりで、か細い神経の私なんかは特にターゲットにされやすく、日々誰かに怒られているような状況です。

否、全世界がそんな怒れる人ばかりと表現しましたが、それは言い過ぎました。そういえば過去、私は割と誰も怒らないような穏やかな職場にいた時代もありました。

今は職も替わって新しい組織に身を置いていますが、この組織がやばい。
ギスギスしていて、怒りの連鎖で渦巻いている。だいたい今まで見てきた人生でこういう怒りが渦巻く組織というのはトップがそういうタイプの人で怒りの拡散を行っています。そしてそういう怒りを受けとめ耐えられる人材が残ります。ただそういった人間はその怒りを受けとめるだけでなく他に発散していく作用を持つ、つまり上に怒られた腹いせに下に当り散らす、という癖があります。でなければその組織では残れません。受けたストレスを自分だけに留めていてはダメージが蓄積し潰れていくことでしょう。
そして怒りは伝播し組織全体が怒りの連鎖で繋がれ、ギスギスとしていくのでしょう。

そしてその組織の末端を構成する、、末端というのは役職や年齢などに限らず性格的弱者つまり私のような気の弱いタイプ、

こういった者に矛先が向い、そこで捌け口をなくして膿のように溜まり悶える、この構造。

底辺が苦しむのは構造的なものなのかもしれませんが、これではあまりにも不公平ではないかと、いや、底辺は絶えず入れ替りしていくからそういう、いわば試練の場なのだと言われればそうなのかもしれませんが、それではあまりにも可哀相です。
私は過去、そういう苦労はさせたくないと思い、新人を初めとする弱い立場の人にも無理をさせない、また立場をないがしろにせず尊重してきたつもりです。でも、それでも世の中の流れには逆らえず、やはり、そういう立場の弱い人にはそれなりの苦労を強いれさせなければいけないようです。自分が受けた苦労を、誰しもが次の世代に引継ぎたいと願い、その連鎖が例えば人間の嫌な所、例えば怒ったり嫌みを言ったりといったどす黒い性根を露にさせるのかもしれません。

そういう私もまた、朱に交われば赤くなるタイプで、そういう人間になっていきそうで、、

いや、もともと大した人間ではないのにまるで自身は人と違うという変な自負があるから、そういう罪悪感に駆られるのかもしれません。

ただ、世の中が、怒り、人に攻撃することで浄化をはかるのではなく、お互いに施し気遣い合いながら発展していく摂理へとなっていけばどれほど素晴らしいことだろうかとは、真剣に思います。

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