誰を幸せにしたいか

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他人の不幸をどこか喜ぶ、ひん曲がった性質のある私に欠けているのは、誰を幸せにしたいか、という至極当たり前のことだと考えています。

本来人間が本能的に持っている、他人に施して歓びを得るという社会的な性質が私にはいささか不足しているようで、おそらく、こうやって人生が上向いていかないのもそういう悪魔的な魂胆がドスッと心の奥に潜んでいるからだと思っています。

人は誰かを幸せにするために生まれてくるのだと思いますが(その根拠は証明できませんが)、私にはそういう余裕がないのか、はたまた根性がひねくれているのかで、どうやらそういう優しさは持っていないようです。表面上はあっても、打算的で、こう見せることでこう思われたい、つまりよく思われたいという八方美人の呪いが私を包んでいるようです。

人の不幸を確かめることで自身の幸福を相対的に得ようと、、そういえば新聞やニュースを見ても悲観的な記事ばかりが目について仕方ないのは、私のそういう悪い癖が原因なのかもしれません。

人間が本来持っている、誰かを幸せにしたいという本能が欠落している私、だからこそ充足感を得られず絶えず苦悶しているのだと悟るに至ったのです。

自身の保身のために飾った優しさではなくて、山から涌き出る清水のように自然と澄んだ流れで誰かを幸せにしたいと願い、それを行動に移し、そして満ち足りる心を持ちたいものです。

私自身、決して他人からの愛が不足して生きてきたとは思っていません。(人相応の待遇で生きてきたと思っています)
それなのに、何を憎んでいるのか、他人の幸せを願い切れていないこの無慈悲さに、、、

それほど自身でショックを受けていないことにショックでもないことに、ショックで、もない、このマトリョーシカのような徒労感に、ただ虚しいのです。

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“誰を幸せにしたいか” への3件の返信

  1. あのINFPの解説が載ったサイトがなくなったあと、あのログが載ったこのサイトを見つけて、私は嬉しかったですよ。

    人の幸せを願うには、自分に幸せの余裕がないとできないものだと、誰かが言っていました。
    まずは、自分の幸せを1番に考えるというのはどうでしょうか…ほとんどの人が、そうやって生きていると思いますよ。

    • ただ、自分の幸せすら考えられない状況にあるならば、何か解決策を考えなければいけない、のかもしれませんね。

  2. どうにも気になって仕方ないのですが、あなたは「繊細な精神」を持っている割に「思考が雑」であるように見受けられます。

    「本来人間が本能的に持っている、他人に施して歓びを得るという社会的な性質」・・・・・・ヒトが社会的な生物である以上こうした性質は多かれ少なかれあるとは思いますが、それが「本来」でも「本能」というわけでもないでしょう。
    他人の幸福を喜ぶ人間がたくさんいると同時に、他人の不幸を喜ぶ人間というのもまたたくさんいるのが現実です。
    あなたもそれを理解してないわけでもないでしょう。
    もし、世の中が他人の幸福を喜ぶ人間ばかりだったらゴシップも匿名の罵詈雑言も溢れていません。

    打算で表面上の優しさしかない?結構ではありませんか。
    人間は根本的には「誰かを幸せにする」ことなどできません。
    幸福の形は千差万別です。同じ状況に置かれても幸福な人はいるし、不幸な人はいる。
    そんな中で世の中を円滑に運営するために「常識」や「社交辞令」などというものがあるのです。
    つまり「打算」であり「表面」です。

    しかし、「常識」や「社交辞令」が人間を幸福にしてくれるわけではありません。
    個人の幸福は、その個人の中にあるのであって外部から与えられるものではありません。
    せいぜい打算的な優しさくらいでしょう、提供できるのは。

    あなたは「誰かを幸福にする方法」を考える前に「自分にとっての幸福が何か」を考えたほうが良いと思われます。

    そもそも、あなた自身がこう言っているのですから。

    「人の不幸を確かめることで自身の幸福を相対的に得ようとしている」
    それを問題視するのなら、「人間が本来持っている、誰かを幸せにしたいという本能が欠落している」
    などと言って他人と比較するのはやめましょうよ。

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