苦しみの上塗りで前回の苦しさが紛れる

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自分でもどうしてこうも悩みたがりなんだろうと不思議でならないのですが、私は何度も苦しかったり嫌だったりした過去を、将来を案ずるのと同じくらい心に浮かべては苦しんでいます。まるでその辛さを自らが欲しているんではないかと疑ってやまないのです。

マゾではありません。決して苦痛を快楽に思えるほどのマゾヒスティックな趣向は自身にはないと思っています。かすかな退廃感は奥底に認めつつも、やっぱり幸福や快楽を願ってやまない大多数のうちの一人にすぎないという自覚があります。

暇さえあれば、嫌な思いをしたことを思い煩い、その場面を脳内リプレイし、まるでそれに対する免疫をつける訓練をするかのようにしつこく思い返しては心をかき乱しています。ひどくなると、つまりその辛さをうまく消化できずにいると追憶が暴走し残酷な妄想へと迷い込んでは自己嫌悪、それでも止まらない猟奇的な仕返しを演じてしまうのです。

本当は嫌な思い出はその場で消化させることが一番でしょう。その場で争い言うべきことを言い、抵抗すべきことをした上でどうやら自分では及ばなかったという完遂感があればいいのでしょうけど。でもそれができないんです。いちいちそっと心に常備してある風呂敷で包んで未来へのお土産に丁重にくるんで持って帰ってしまう性癖が私にはあります。あとで一人になり、その風呂敷を開けては禁断の玉手箱を開放した浦島太郎のごとく面食らってしまうのです。

幸せになるのが怖いのでしょうか?

もしかすると、幸せになり、そこから転落するのが怖い、つまり幸せで居続ける自信がないのかもしれません。だから、手っ取り早く不幸で居続けた方がかえって楽だと本能的に感じているのかもしれません。

苦しみは嫌です。やっぱり嫌なことは嫌、私の心はやはり苦しみは求めていません。

その証拠にどうやら私は、暇になると嫌なことを思い出し、それに囚われてその負の感情に向き合いつつも心を焦がしていますが、また新しい苦しみに直面するとどうやらその一つ前の苦しみ(嫌なこと)は一旦脇においておくことができるようです。まるでケガの痛みを除くためには新しく別の場所をケガすればいいという荒療治のように。

まるで屁理屈ですが、どうやら私の場合はそうやって少しずつ過去の嫌な思いを成仏させているように思います。言い換えれば、新しい傷を求めていきてしまっているのです。絶えず傷ついて生きてしまっているのです。

そういう自分がいることを認めるまでに、もう35年以上もかかってしまいました。

でも、もう大丈夫、それに気が付けた以上、私はかえって自分を認めることができます。もっと本心に素直になろう、苦しみの上塗りだけでしか傷を忘れられないこの心を解放してあげよう、そういう方向に心を先導してあげる新しい自分を見つけることができたのです。

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