神のごとく優しくて、だから人は私に近寄らない

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清い、潔白。水清ければ魚棲まず。

私は真面目です。律儀です。そういう自分が嫌で、どこかワルに憧れて、でも自分自身がヤンチャになる自信もバイタリティもなく、せいぜいできたことは、不真面目で快活な自分の親族(自分ど同年代)や自分を慕ってくれる同級生の女子でした。中にはこういう根が地味な人間であっても、それを受け入れてくれる人もいるようで、大人しく自己主張しない私にも近寄ってきてくれる人は、砂金をすくうような確率ではありながらもいるようでした。

そうやってオシャレのひとつとして、自分ではできないPRというものを、自分を慕ってくれる僅かながらばかりの交友関係に頼り、それをスポークスマンとして私の存在を広報してもらいながら、私はその存在感をやっと世に示すことができていたようです。

そもそもは、こんな根暗な、、いや、そんな卑下するのはやめておくとして、ならばどんな表現がこの浮世に住む人々の満足に答えられるかということに焦点を当てて言葉に置き換えると(私はどこか退廃的な部分に惹かれ、こういってはなんですが人の不幸を自らの活力に変える魔の力があるようです)

それは、神様のように人がよくて清廉であるということです。もちろん、その心の奥には好かれたいという卑しい欲がまるで火山から流れ出るマグマのようにおどろおどろしく渦巻いており、それをエネルゲンとして傍若無人しかし狡猾に出力した結果が、そのわざとらしいほどの人の好さなのではないかと考えています。

それであるがゆえに、人は私を、疎く思う。しかしそれは蛇蝎におののく心情からくるおぞましさではなく、やはり、この世の、当たり前に俗なシンプルさが備わっていない怪奇な魂をそこに見出してしまうからだと、そう思うのです。

 

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